2020年10月13日

日本学術会議(官製)の役割は?

日本学術会議のメンバーの今年の委員選定を巡って政府が6名を外したことで、学問の自由が侵されるとか言って政府に異論を投げかけている騒動が報道されているが、何故だかよくわからない。説明責任を政府(総理)に求めているのだが、本来10億円もの国家予算を使って学術会議を運営するということは国家に学術・文化などの振興にどんな貢献をしていただいているのか、そちらの説明責任のほうが先になされ、国民がその納得の上に立って委員の活動が評価され、選任の是非が問われるべきではないかと私は思う。
学問の自由が侵されるというならば、自前で自己責任をもってする活動であるべきなのだろう。どうもこの組織が官製でありながら既得権益となって委員に選ばれることが、自由を守ることよりも、ステータス扱いになっているのではないか・? 長年の歴史が今日では悪弊ともなっているのではないだろうか?自由を守ることのありようもこの際検討してみることが大事ではないだろうか? やはりスポンサーが背景にあればその意向が表れるのはよくあることだ。テレビコマーシャルでもスポンサー企業の反社会性を追求するような番組を創れば、スポンサーは即刻撤退するだろう。お互い目くじらの立て合いをしておれば、もう止めとけとなるのが答えとなってくるのではないだろうか・・。誰にも束縛されない自由を守るってことは難題である。
posted by 明比昭治 at 09:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする