2022年08月23日

第104回全国高校野球選手権大会優勝旗「仙台育英」悲願の東北へ。

コロナ感染による規制から、対策を講じながらも3年ぶりに有観客で全国高校野球大会が開催され、全国各地で予選を経て勝ち上がり、憧れ晴れの「甲子園球場」での全国大会に勝ち進み、8月22日いよいよ決勝戦その頂点に「仙台育英高校」が優勝の栄誉の輝いた。準優勝には「下関国際高校」で、両校ともにこの頂点に立つまでに並外れた毎日の努力と苦悩との戦いがあっただろうと、その頑張りの成果を心から称えたい。
私たちの時代(60年も前のことだが)は昔の根性野球が主力の取り組みで、我慢と汗の結晶が称えられたものだが、いまは如何に科学的・合理性を取り入れるかが問われている時代だ。しかしそれでも変わらないのは毎日毎日の努力の積み重ねが絶対の基本であり、苦しい厳しい課題を乗り越えてこそ喜びが得られることに、いつの時代も変わらないテーマであろう。
やはり身体の内より出てくる熱い汗こそが爽やかな結果を導く原動力である。こんな汗を流すことを避けて過ごすことに合理性を求めるような風潮が今の世の中主流となっていることに危惧を覚える。冷や汗は健康の害だ。身も心の中にもしっかりと血液を巡らせ、暑い汗を流すことに喜びが得られる苦労を乗り越える生き方を大切にしよう。
仲間と共に苦労を乗り越え勝ち得た成果に心から祝福を送り、選手や関係者の皆さんの今後の人生の大きな1歩を称え一層の活躍を期待します。
posted by 明比昭治 at 09:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月22日

15歳少女が死刑になりたいと殺傷事件を起こす恐ろしい現象。

東京で15歳の少女が、親子ずれの母子に刃物で切りつけ、大けがを負わせるという事件がニュースで流れていた。動機は人を殺して死刑になりたかったという供述と、報じられている。また自分の母親と弟を狙っていたが、うまくゆかず千葉から塾へ行くと言って出かけて都内で適当な相手を探していての犯行のようだ。被害に遭われた方には本当に驚きの事件に巻き込まれお見舞いを申し上げたい、死亡事件には親子と至らなかったようだが、心の傷も深く残ることだろう。心からお見舞いを申し上げたい。
15歳の少女が死刑になりたい・・・このようなことを考える子供がいることが大きな問題だ。先に安倍元総理を殺害した事件。その他人を殺したい。人を殺して死刑になりたい・・・。命の尊さが全く心の中から消えてしまっている人格を作ったのは何が原因なのか、そこに追い込んだ背景はどうなのか・・そんな闇の中で悩んでいる人がいることをしっかり受け止め、その悩みの中でもがいている人たち(殆どが引きこもりとなっているのだろうと思われるが・・)このことをしっかり受け止め対策を建てなければならない。最初から悪い人はいないのだ。何かの事柄が人格を変えてしまっているのだ。ここ闇に手を入れて命を大切にする心を育み社会をしっかり築いてゆかねばならない。
posted by 明比昭治 at 19:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月15日

列島各地で大雨被害(ラニーニャ現象のあおりか?)

今日は先の大戦から77年目の終戦記念日。戦没者を慰霊する行事がずっと行われていたのだが、残念ながら今回で3年目となるがコロナ禍の影響により慰霊の規模を愛媛では縮小し実施している。式典こそ縮小しても英霊に慰霊の誠を捧げることは全国民決して忘れてはならない。
戦争を知らない人たちがもう世の中の殆どとなっているのだが、今年は2月にロシアがウクライナに軍事侵攻し戦争を仕掛け今も善良な市民が戦禍により、財産や命を奪われ続けている。早く収束をさせなければならないが、その兆しが見えないどころか、何時飛び火の拡大があるかもしれない状況だ。我が国も「戦争放棄した平和憲法があるから大丈夫」などと、危機意識もない世相の状況だが、何時戦渦に巻き込まtれることがあるかもしれないと、平和を維持するための有りようをしっかり考えた危機管理意識を疎かにしないようにしなければならない。
今年はラニーニャ現象が気候の変動に影響を与えているようだが、気温上昇で連日真夏日が続いていることに加え、北陸・東日本の各地で線状降水帯現象による大雨が降り、河川の氾濫・土砂崩れの甚大な被害が起きている。次から次へと私たちの平和な生活に災難が襲い掛かってきており心が折れそうなことがあまりにも多く、ガンバロウの気力さえそがれかねないのだが、やはりみんなで力寄せ合い、支え合って生きていることの幸せを感じられる社会を守り、希望の灯を消さない社会を守るために頑張らなければならない、苦しいのはあなただけではない!みんな苦しいけども頑張っている。元気があれば何でもできる!と笑顔絶やさない人もいる。戦争はしちゃいかん!
posted by 明比昭治 at 10:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月12日

マスコミ他、N党の国会議員の有りようを何故批判報道・取りくまないのか?

連日国会議員と統一教会の関りなどが報道されているが、何が狙いというかよくわからない?確かに霊感商法などの活動を行いカルト集団のような宗教活動は公の秩序良俗を乱し、身にも余る莫大な寄付(布施)を強要するなどの実態が明るみになっている、宗教法人の活動の在り方は批判され、信教の自由を守るために保護され、課税免除などの特典の有る宗教法人の活動の有り方は厳に非難され、正されるべきでしょう。
だが選挙の応援をしたのが何故批判されるのか?応援を受けたのが何故批判されるのか?宗教法人で言えば創価学会と公明党の関係?労働組合と政党の関係?各種団体と政党の関係?個人と候補者個人の関係?どの関係についても特定の思いがあり生かされがたいために応援しているのが現実ではないだろうか。むりやり利害を権力によって生み出そうとすることは批判されるべきことではあるが・・。自民党議員と統一教会の応援のことを無理やり問題ありと評価してしまうのは、何か別の意図に振り廻されているようにも思える。誤りや誤解は正し、社会の秩序を正すべきではあるが、何が良いのやら悪いのやら、こんな混乱で政治不信を呼び起こし、社会の善意や、良識を壊してはならない。
国会議員に公費の恩恵を受けながら選挙し、その活動にも政党助成金(公費)をさらに受け、議員歳費や活動費を受けながら、国会に出席もしない、SNSを使って好き勝手放題(決して秩序ある社会をつくる行動と思えない)の表現をする。N党とやらを野放しにしているので良いのでしょうか?マスコミも何故こんな国会議員や国権の最高府である国会の有りようを、正すべく取り組ま尚いのでしょうか?日本のインテリジェンスのレベルが疑われるべき状況ではないでしょうか?
posted by 明比昭治 at 12:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月06日

被ばく77年、改めて核廃絶を訴えよう。

今日は悲しくも広島に世界でも史上初めての原子爆弾が広島に投下されて77年目を迎えた。広島で平和記念式典が今年も開催されたが、戦争のない平和な社会をと毎年誓う機会にもなってきたのであるが、今年はロシアのウクライナへの謂れなき軍事侵攻が2月に勃発、いまだ爆弾投下が続けられ、多くの命が奪われ犠牲となっている、連日悲惨な状況が報じられており、世界中で戦争の停止を呼びかけているところだが、ロシアのプーチン大統領は核兵器の攻撃使用もあり得るような脅迫の言も発している。
北朝鮮では核実験も準備していると言われている。このような現況も踏まえ、核兵器使用の脅威がマックスの現実性をおびた危険状態にもある。今の兵器の能力は広島・長崎のむごい状況状況では収まらない。コロナどころの騒ぎではない人類滅亡への道となるだろう。単なる脅しでは済まない時がやがて来るのではないかと危惧するところであり、抑止力の道具としても絶対に破棄しなければ滅亡へつながること必定だ。
核廃絶に犠牲経験のある日本が、最も世界に訴えなければならない事柄である。来年先進国首脳会議を日本で、広島で開催される事が「岸田」総理の肝いりで実現するそうだが、世界の先頭に立って核兵器の廃絶に取り組もう!
posted by 明比昭治 at 10:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月02日

コロナ感染第7波は自己責任で対応せよ。!?

もう3年目になっているのだが、新型コロナ感染症は変異を繰り返し、重症化率は下がっているようだが、益々感染力が強まり、これまで国としてはワクチン接種や病床の確保に予算も人的にも最大の手立てをしながら、社会経済との両立も重要と各種手立てを講じている。
本来国民の命や財産を守るためにとの第1義の使命感をもって、政治行政は取り組んでいるのだが、行動規制も求めることは行政が悪いとばかりに批判する声もマスコミが取り上げるものだから、それが民意の大半のような錯覚にさせられ、万に一の出来事の危険を煽るものだから、国民の協力の意思も鈍ってしまい、結果効力が半減してしまっていると私は残念に思えてならない。そもそも自分の命や財産は自分で守り責任感があってこそ民主社会の秩序が保たれるものだ。
こんな混乱に乗じて無駄ことが多くなりすぎていると残念だ。この無駄の取返しをだれがするのだろう?お互いの責任のなすり合いのような倫理観のかけた残念な現象が今この国余現状のようだ。専制主義国家にはなってはならないが、自由や民主主義を守るのにお互いもっと責任を持とう!みんなの良識と倫理感あふれる協力社会を守ろう。
病院も手一杯となっている。病院が見てくれないのではない、見られないのだ、この逼迫状況を回避するには、感染しない環境に自分を置いておくこと。もし軽い症状の場合は換気に気を付けて自宅で風邪の時のような療養を心がけることが必要のようだ。行動規制はみづからの責任ある判断が第一だ。
posted by 明比昭治 at 10:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする